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【混合原料の紙】 |
張子紙 |
都会地の製紙の特徴は漉返しが主体となっていることで、張子紙も新聞紙に楮紙の反故や古綿を混入して漉き、板干にローラーで密着させて乾燥します。マネキン人形のボディー、お面、だるま、張子の虎などに使われます。東京の手漉製紙は、江戸時代には浅草紙が有名であり、明治以後は、文京区の音羽通りを中心に印刷の紙型用紙、吉原紙、元結紙(もとゆいがみ)、が多く生産され、足立区を中心に加工紙の業者が多くありました。明治の最盛期には1500余戸を数え、生産額も明治34年は第4位、昭和16年で第9位でしたが、戦後は急激に衰えて、昭和30年ころまで足立区に2戸残っていました。現在、埼玉県小川町で島田さんが漉いています。 |
越中和紙の水墨画用紙 |
五箇山地方(富山県)で昔から漉かれている八寸紙(半紙、中折紙)は、寺社の料紙や諸帳簿など記録用として使用されました。近年は、これが書画用紙にも利用されるので、従来の楮、三椏の他にわら、竹繊維を配合して水墨画用の機能をもたせたものです。寸法は菊判や全紙判も漉いています。 |
越前和紙のM・0紙 |
この紙は水彩画用紙として、昭和11年ころ沖茂八が一水会の石井柏亭、東京文理大の板倉賛治両氏の協力で、筆ざわり、発色などをテストして商品化したもので、M・O紙と名づけられています。水彩画のほかエッチング、リトグラフ、シルクスクリーン印刷にも使われます。和紙には珍しい名称で、いわれがありそうですが、沖茂八の頭文字をとったものです。紙料は大麻、綿、パルプの配合。 |
越前和紙の麻紙 |
麻は、古代紙の主要原料、正倉院文書に麻紙が多種類みられ、楮・雁皮より多くありました。繊維の処理が難しいことと、紙質が硬く、紙面がざらざらして書きにくいので、平安以後姿を消しました。内藤湖南(東洋史学の権威)にすすめられて名匠岩野平三郎が、当時の画家の意見を求めながら日本画用として復元しました。白麻紙は、大麻と楮を混合し、白く晒したものです。雲肌麻紙は未晒で、多くの画家に愛用されています。東山魁夷が描いた奈良唐招提寺の壁画はこの紙です。 |
越前和紙の栖鳳紙(せいほうし) |
初代岩野平三郎は「紙漉き平三郎」と呼ばれ、明治から大正にかけて五箇(福井県今立町)の紙の盛衰と共に生きた人ですが、東京、京都の画壇とも交流し、その要望にあうべく苦心しました。伝統技術に立脚しながら新しく美術界と手を組んだ着眼は凡ではありません。この紙は画家竹内栖鳳の求めに応じてつくったもの。墨付、絵具ののりを考えたもので、楮に木材パルプを配合してあります。他に、橋本雅邦愛用の雅邦紙があり、浮世絵にも使われました。楮7、雁皮3、の配合。 |
近江和紙の江宣(こうせん)紙 |
良質の雁皮と楮を混合した紙で、用途により白土を少量または多量に入れています。掛軸の裏ばり、絵巻物の修復や書画用紙、墨絵用に使われています。 |
黒谷和紙の書道用紙 雲 |
細字かな書き用書道用紙で、薄い紙なので地元産(綾部市)楮を主原料とし、那須楮や三椏を混合することもあります。叩解した紙素は充分に水洗いを行ない、あく汁等を抜き墨のにじみを調整することによって、なめらかな書き味が楽しめます。白色や薄い各色の紙の天地に雲かけや紅葉や野草の押し花を漉き入れたものや、金銀箔のちらし漉きなどの各種類があります。漉舟の中の水と紙素とノリ料(トロロアオイ)を程良く調合した中から一枚一枚を漉き上げていく薄い紙は時間をかけ乾燥され、古風の中に美しさが輝いています。 |
大洲和紙のかな書用書道半紙 千早 |
厳選された三椏を主原料にして若干の雁皮を加え、筆のすべりを特に良くした高級かな用、細字用の半紙です。細字、かなを書く上で筆のすべり、筆ののびは書家の求めて止まないものですが、主原料の三椏がにじみを止め、雁皮が筆のすべりを一段と良くしています。 |
大洲和紙の書道半紙 富貴 |
麻、ワラを主原料にして雁皮を加え、適度なにじみと、墨色が良く映えるように工夫した高級太字用、漢字用半紙です。太字用、漢字用半紙の場合、にじみが少ないとその趣がなく、また多すぎると初級者が書きにくいということがあります。本紙は、原料と叩解に工夫を加えて、多くの書家が利用できるようにした半紙です。 |
大洲和紙の版画用紙 |
選び抜いた楮を主原料にして、若干の雁皮を加え、特に精製処理の上抄造した版画用紙です。特ににじみ止め(ドーサ引きやヤニ入りではない)をしていませんが、繊維の細い雁皮を加えることにより、自然なにじみ止めの効果があり、生紙のこのままを使用しても充分耐えられるように抄造しています。また、大きい作品でも小さい作品でも使用できるよう、厚さも十三匁(約50グラム)として抄造しました。 |
土佐和紙の土佐楮鳥の子紙 |
土佐楮を主原料にして、溜め漉きに、伝統ある土佐の流し漉き技法を加えて抄紙。ロール掛け、ドーサ引きが施されています。海外で人気を博し逆輸入されたこともある紙で、別名パールペーパーともよばれ、楮繊維の絡み合いが作り出す美しい模様に大きな特徴があります。版画用紙としてシャガールやダリ等の作品にも使用され、「東洋の神秘」の異名すらとりました。現在は版画用紙ばかりでなく、写真印画紙との紙としても注目を集めています。 |
銅版原紙 |
楮紙の反故50%と木材パルプ50%の原料をソーダ灰煮熟して漉いた紙です。瀬戸、多治見などの陶器産地の絵付用に使われています。図柄を原紙に印刷して陶器に張り、しばらくして紙を剥ぐと、絵が陶器面に転移するようになっています。手漉きの紙は柔軟で陶器の複雑な曲面にもよく張りつくので重宝されています。現在は機械抄きに変わっています。 |
カルタ裏紙用紙 |
かつて美濃の沢村茂治が代々専門に漉いていましたが、今は漉いていません。那須楮50%、木材パルプ50%を原料とし、ソーダ灰煮熟し、通常の流し漉きによって製作したカルタの裏紙用紙です。傷や漉きむらがあって、目じるしがついてはカルタの裏紙としては用をなさないので特に慎重な抄造が必要です。 |
型紙原紙 |
美濃地方が主産地で、薄美濃を縦・横に交互に張り合わせ、蕨渋で張り合わせて耐水性をもたせた型紙。純生、八分生、一等、二等などの規格がありました。この紙は「白子行き」と称して、伊勢の鈴鹿市白子に送られました。鈴鹿の地紙屋さんはこの原紙を土蔵の木屑の中で十分乾燥させ、何枚か張り合わせ柿渋を塗って補強して型紙にしました。 |
インキ止め紙 |
高知の生んだ明治期の名紙匠吉井源太が、当時、新しくペン字に適した紙の必要が生まれてきたのに対応して、印刷局抄紙部の指導を受けながら、樹脂を漉き入れインキ止め紙(脂入(やにいれ)紙)の製造に成功しました。毛筆からペン字へと世相が大きく移り変わった明治31年ころから、世に知られるようになりました。原料は木材パルプを中心として、マニラ麻、わらを少量入れる。苛性ソーダ煮熟、晒粉による漂白、ビーター叩解、紗漉きの後、鉄板で乾燥。サイズ(松やに)はビーターで紙料に添加しますが、このサイズを表面に出すためにやにもどしを行います。これは乾燥後の50枚束の上から水をかけ、10日〜20日間放置したのち、束のまま竹ざおにかけて陰干し乾燥します。最後にロール仕上げして紙のしわを伸ばします。 |