 |
名尾障子紙の名は古くから知られていますが、その由来をたどれば、元禄年間(1688〜1704)納富由助翁が筑後の溝口村に行き、僧日源のもとで漉いてつくる製紙法を
5ヵ年の歳月をかけて習得し、名尾に製紙業を広めたのが始まりです。
明治になって初代県知事鎌田景弼氏の奨励で名尾製紙組合が設けられ、また明治33年には当地の川浪正隆氏は自費で先進地を視察して、名尾製紙養成所を設置して器具の改良・技術の向上に当たり、その振興につとめたので、名尾紙の品質や生産力は九州製紙界にその名を知られるようになり、創業以来今日まで絶えることなく受け継がれてきました。
地元産の原料を主にしているため、農家の生産量が毎年減り続けているのに頭を痛めていますが、その分、自宅での栽培を増やしています。
名刺、はがきはもちろんのこと、いろいろな物を漉き込んで、ほかにはないユニークな和紙を漉いています。
張りが強いため提灯紙としての使用が多く、自信を持って強いと言える紙です。 |
|