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郷土史によればこの地の和紙の起源は、「人皇第六十三代冷泉天皇の御宇」上川崎川之端の栗舟渡し場のあたりで始められたとなっています。今から
1000年以上前のことです。
その後二本松藩政時代に丹羽藩主は産業振興の立場から、紙漉きを許可制にして奨励し、これが今日の上川崎和紙の基礎となったといわれています。
さらに、明治中期から紙の需要が急激に伸び、大判紙の製造にも乗り出し、生産量も大幅に上がったことから販路も拡大し、上川崎手漉和紙は飛躍的な振興をみたといいます。
現在は、上川崎和紙振興組合に6軒が属し、副業として紙を漉いています。 |
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