大洲和紙(おおずわし)
【所在地】 愛媛県喜多郡内子町/西予市野村町  
【主製品】 提灯紙・楮紙・泉貨紙・改良紙・書道半紙
伊予の紙は『延喜式』に出ており、正倉院文書にもあるほど歴史が古く、国東治兵衛の著書『紙漉重宝記(かみすきちょうほうき)』によれば、「万葉の歌人柿本人麻呂、岩見の国の守護として紙漉きの技を起こし、その技たちまちにして、伊予の大洲に伝わり」と記されています。

その後、幾多の盛衰を重ねながら、徳川時代に入り、大洲藩主加藤泰興が寛永年間 1624〜1643)五十崎郷在住の土佐の浪人、岡崎左衛門を召し抱え、御用紙を漉かせ、また越前から元禄年間( 1688〜1704)六部の宗昌禅定門、俗名善之進が来村し、大洲藩紙漉きの師としてその技術を指導して以来、藩内産業として繁栄を極めました。

その間、寛永3年(1626)には庄屋や豪商が利益をむさぼり百姓一揆が起きているのは、大洲藩の有名な歴史の一つであります。
また、佐藤信淵の『経済要録』によれば、大洲和紙は大坂に出荷し、その品質日本一として大いに声価を高めており、我々の祖先の苦労と技術をしのぶことができます。
明治中期より、コウゾ原料の地半紙よりミツマタ中心の改良半紙のほうが盛んになり、大正年間にかけて小田川に沿って幾多の工場が続出し、明治の末期には業者 430名を数えました。しかし、機械文明の発達と共に、ついに昭和20年には74名となり、現在では3業者となっています。

製品面では、特にミツマタを原料とした改良紙(主にかな用の半紙として使用)と障子紙が主力製品として特徴づけられます。改良紙は非常に薄く、紙漉き技術も、紙乾燥技術も、特に高度なものが要求され、全国の書家の間で好評を博しています。また、障子紙も、特に高級なものが多く、全国各地の寺院、茶室、高級住宅などで広く使用されています。
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