06.10.25up

「季刊・和紙だより 2006秋号」発行
福井県和紙工業協同組合から、「季刊・和紙iだより 2006秋」号がとどきました。一部をご紹介します。


今号の内容

■越前和紙への提言
佐藤眞富さん(プロダクトデザイナー)
「暮らしを創造するコト、モノを考える」
■取り組み紹介
行政と協力し合う美濃和紙振興事業
■漉き場探
「情報系の和紙から広がった得意分野」
石川浩さん 石川製紙(株)
■越前和紙への提言 佐藤眞富さん(プロダクトデザイナー)
(株)木舎(ぼくしゃ)代表 プロダクトデザイナー。1987年、東京都あきる野市に木舎設立。主に照明器具のデザインを手掛け、個展、グループ展なども多数。2001年から美濃手漉き和紙を次世代に伝え、現代生活に取り入れるためのプロジェクト「カミノシゴト」のプロデュースを開始。産地の職人と東京市場との橋渡しをすべく、Ozone、Axis等で提案展を精力的に開催。2004年、美濃市相生町にアンテナショップ「カミノシゴト」オープン、今年若手職人に運営を引き継ぐ予定。
「暮らしを創造するるコト、モノを考える」
●産地の問題点
七年ほど前、岐阜県紙業連合会が海外市場を狙い、フランクフルトメッセに美濃和紙のあかりを展示しようと企画したと時、デザイン依頼が来たのです。デザイン料が安い代わりに、産地の中を自由に歩いても構わないと言われ、興味が湧きました。しかし、当時は正直言ってその仕事で使いたい紙がなかったのです。では、作ればいいのでは、と考えましたが、職人さん達もなかなか相手にしてくれない。仕方がないので、惚れ込んだ本美濃紙、薄美濃紙と他の紙を利用して「濃シリーズ」という商品ブランドを立ちあげました。これが美濃との出会いとなりましたが、仕事をしていく過程で産地の問題点も見せつけられてしまったのです。美濃和紙は昔から障子紙として有名ですが、それはこの土地の光や水など、美濃の風土があってこそ、その和紙が育まれたと思うのです。現在エコだとか地球に優しいとか、さも新しげにプロダクトの世界でも言われていますが、その割には先人達が育てた「日本の紙」は全うに使われてもいないし、その効能さえも適切に知らせる努力をしていなかったのです。
●売れないと言うけれど
まず、産地や職人さんは「売れない!」と平気な顔で言うけど、ある意味それはユーザーを無視しています。売れないことを、ユーザーや時代のせいにし、住空間の様式変化のせいにしている。それは単に、売れないのではなく、使ってもらえない、使えないというのが真実なのです。どうして使ってもらえないのか検証しないといけないのに、指をくわえてこの何十年間来たわけでしょう。美濃の手漉き和紙を残さないといけないと言うのなら、産地が今の若い職人達を食わせるストーリーを作らなければいけない。ところがここが勘違いで、ものを作れば、単に開発すれば食えると思うんですよ。紙を作れば売れると思うんです。今のユーザー、特に女性は和紙という素材には空間も含めて大きな興味を持っていて、情報誌も特集を組んでいます。だけど東京にはまともな和紙の店もほとんどないし、ましてひとは産地に来たこともない。だから美濃和紙なんて若い子は知らない。越前だって同じだと思うのです。知らなかったら選ばれようがない。ですから美濃和紙というブランドをあらゆる広報手段で伝え、広める仕事を最低五年間仕掛けるから、行政に掛け合ってほしいと紙業連合会のトップにお願いしたのです。
(中略)

2002年

2004年

2005年
東京Ozoneでの
「カミノシゴト」展
●行政ができるのは発信事業
地方のいいところは、まだ昔のような太っ腹の経営者がいることです。若手職人をまとめながら、様々な発信事業を行うのに行政を説き伏せる強烈なリーダーがいたのです。東京のオゾンでは計五回の「カミノシゴト」展、アクシスでは「御紙漉屋の障子展」など三回の発信を手掛け、会場に来てくれた出版者との繋がりを通じて「カミノシゴト」という本の出版や、グラフィックデザイナーとは、「折型半紙1/2」という商品成果にも繋がりました。作り手側のこだわりをしっかり伝え、紙だけでなく道具に変化する魅力などもJ’ホームスタイルで発信しました。ひとつひとつを確実に展開して、美濃手漉き和紙は少なくともクリエーターの中には浸透し、知ってもらえたと思っています。職人達を東京の展示会にバスをチャーターして連れて行きました。会場で直接お客の反応を見て「これは問屋から聞いている話とはだいぶ違うなあ」という感覚も肌で分かってきました。そんなことでも五年かかるのです。要は五年間、産地の想いをつらぬくリーダーがいるかいないかは大きいですね。
●伝統産業もブランド合戦に
五年間「カミノシゴト」に関わって分かったのは、広報は種まき作業だということ。いまそれを確実に刈り取るには、産地ブランドを戦略化できる企業を導入すべきです。というのは、地方自治体再編成の流れの中で、観光地や伝統産業をかかえる行政は今後ブランド合戦になっていくと思うのです。伝統・風土・歴史など地方もブランドを戦略化し方程式化しなければ生き残っていけません。自治体も含めて産地も企業的な経営センスで、伝統産業をプロデュースしていかなければせっかくの価値ある日本の仕事が死んでしまうのです。産地の一人一人の能力を考慮し、創造的な役割を与えていく集団的知恵が必要です。そして何より私達の暮らしに必要な、物産ではない商品を提供することです。大切なことは、地域や産地や市場のしがらみを優先するのではなく、「伝統とは革新の継続」という概念に果敢に挑戦、実験するという姿勢ではないでしょうか。
■漉き場探訪
「情報系の和紙から広がった得意分野」 石川浩さん 石川製紙(株)
石川製紙は、江戸時代から紙漉に従事し、一時は酒造業に転向したが、昭和七年に手漉き和紙業を再開。昭和三十六年に石川製紙株式会社設立を機に手漉き和紙から機械抄き和紙の生産に転換。襖、箱張り・小間紙用和紙に加え、様々な印刷用途に対応できる和紙生産に得意分野を拡大してきた。社員は総勢29名。社長の石川浩さんにお話を伺う。
黒谷和紙協同組合理事長
福田清さん
●印刷できる和紙の開発
一般的に和紙は印刷の色が沈むとか、紙むけ発生などで、今の印刷機械に対応できないのではないかと敬遠されがちです。そこで当社は印刷できる和紙の開発に力を入れてきました。昭和五十年代に、出版業界では復刻ブームがありまして、著名な文芸作品の表紙や扉に和紙を使いたいという需要がありました。その折、楮や三椏、雁皮など昔ながらの風合いを持ち、価格もこなれていて、尚かつ大量印刷にも対応できる和紙を随分研究しました。現在でも文藝春秋、講談社など文芸や小説分野に強い出版社の需要が多いのですが、時にはベストセラーが出ることがあります。立花隆さんの「田中角栄研究」という本もそうでしたが、何トンという紙を生産する時は、洋紙にはあにしっとり感を出さなくてはならない反面、洋紙の様に多色印刷が可能であり、ロットのムラがなく、品質管理ができることが前提となってきます。大変、神経を使うところです。永年生産したきた紙の様々なデータを記録して整理しておりますので、その蓄積がノウハウとなって、新しい紙の開発につながっております。
(中略)
●文化財複製用和紙
最近は復刻用の文化的な和紙の需要が増えてきています。博物館や美術館の限定レプリカものや寺社仏閣の襖絵、掛け軸の復刻に使用する復刻用紙です。著名な絵も多いのですが、例えば、南禅寺所蔵の重文、狩野探幽の「群虎図」、兵庫県香美町の大乗寺所蔵、円山応挙門下の永沢芦雪の「群猿図」などのデジタル再製画(精巧なレプリカ)用も和紙も手掛けています。面白いのは、いつの時代のものを複製にするのかで紙質や風合いを変えなくてはならないということがあるのです。今現在ある状態を複製するのか、元の原本の状態通りに複製するのかで、印刷方法を変わり、それに伴って復刻用紙の品質・風合いが決まっていきます。(中略)

文化財の復刻用紙

文芸書復刻版や
楽譜復刻用紙など
●イベント用和紙
印刷用和紙、文化関連和紙と力を入れてきていますが、もう一つ文化的な催事などで使うイベント用和紙の開発もはじめました。鳥の子が主流ですが、博物館、美術館のイベント展示のしつらえに使われます。昔は一般に市販されている鳥の子を使っていたのですが、現在はやはり展示内容をよく考えたディスプレイデザインに基づき、張る紙を選定したいというニーズがあるようです。現在、引き合いのある紙は、しっとりとした和調の雰囲気のものが中心で、色合いも百種類くらい、しかも施工しやすく、紙の伸び縮みが少なく、強度のある紙というものでした。商談の中で、和紙の面白いところは裏と表では表情が違うので、同じ紙を使い分けてはいかがですかと提案したところ大変喜ばれ、受注に一歩近づいているようです。(後略)

発行人:福井県和紙工業協同組合 山田益弘
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